その炎は、きっと消えない
その雷は、瞬いて消えてしまう

「意地悪だね、アーカーは」
いつからそこにいたのか、温和な外観を持って生まれた火をまといし者は、苦笑紛れに声をかけた。
油断すれば闇に溶けいりそうな、そんな男に声をかける。その青白い頬は、赤く腫れた跡がある。
痛そうであるが、同情はしない。自業自得だ。あの、優しい彼女を怒らせた罰だ。
「嫌われるのが、教育者です」
いつ君は教育者になったんだい、と苦笑気味に聞くが、アーカーは答えない。
いつもの平坦な声で言っているが、内心をどう思っているかなんて、その半生をほとんど同じく過ごした男、ミリダスにだってわからない。
「それでも、やりすぎだろ。普通、怒るよ」
「怒らせるのが、目的ですから」
嗜めるような声は、先ほどと変化のない無愛想な声で返された。ミリダスはそれに呆れるしかない。
アーカーのやりたいことは、わかっている。
チナミは、世界にたった一人しかいない魔王候補である彼女は、魔王にならない。この広大なる都の王位を継ぐ気なんてないのだ。
酷な事をする、我ながらそう思う。
突然、初対面の何者かに、見知らぬ土地の王位についてくれ、と言われれば驚くであろう。それが普通だ。即座に王位につきたがる輩の方が、まだ異常だ。
魔王たる彼女は、チナミは、何も知らない。
この世界と、その大地に生きる命と、散っていく命を。
アーカーはならば知ってもらおうと、一番拒絶しがたい部分を見せた。
戦災孤児。永久障害兵士。この二つを受け入れる、戦災院を。
文字通り戦火にあったものたちを受け入れる建物であるそこは、毎日のように顔も知らない誰かが死んでいく。
なぜ、死ぬのか。
それは、争いがあるから。
なぜ、争いが起こるのか。
それは、止める者がいないから。
だから、アーカーは望んだのだ。魔王、戦いを止める唯一の存在を。至高にして、最強たる防壁を。
目の前で傷つくものを見て、無感情であれば、その時点で魔王、いや王たる全ての存在として相応しくない。
王は、民があって成り立つ。その民草を蔑ろにするような者は、始めから王にする気などない。
では、気にかけるものならどうか。アーカーはチナミの行動から、性格を推測する。
きっと、飢えも何もない、平和な世界で生まれたのだろう。少なくとも、表面上の平和が存在する世界だ。
傷つくものがいて、それをどうする事もできない。ジレンマに悩ませられる。
そのジレンマこそ、アーカーの求めるものだ。
――だから、アーカーはチナミに戦災院を案内した。
この惨状を救えるのは、あなただけだというメッセージを残して。
傷ついた民を餌に使ったといってもいい。
それでも、アーカーはチナミに魔王となることを選ばせた。
無理やりに、策略を巡らせて。
その結果が、頬の腫れだ。
「不器用だね。誰に似たんだろ」
「さあ、知りません」
抑揚のない声。いつもより覇気がないアーカーに、ミリダスは微笑む。
「君は良くやった。がんばったんだ。それは誇っていい」
「・・・候補殿には、騙されたと罵られるでしょうか」
顔には感情も感慨も何も浮かばない。
しかし、どこか悲しんでいるようにも見えるのは、ミリダスの目の錯覚ではない。
「いいじゃないか。極悪非道な宰相閣下、それが今の陛下の望んだアーカーなんだから。僕はそれでいいと思うよ。いや、そんなアーカーがいいんだ」
優しげに言うミリダスの顔は、とても穏やかだった。それこそ、帝国の信仰する女神のような、優しげな笑顔で。
「あなたに言われては、仕方ありませんね」
ほんの少し、アーカーの顔に赤みが差したのかもしれない。それは朝焼けの悪戯かは、わからない。
「では、魔王陛下にご挨拶をしてきますよ。嫌がらせも兼ねて、ね」
そんな軽口を叩くアーカーに、ミリダスは苦笑しながら見送った。
そして、朝がやって来る。


ここは、明るい。
比喩でも何でもなく、太陽がいくつもあるのだから、明るいのは当然だ。
そりゃ、太陽が四つもあれば、嫌でも明るいわなぁ。あっはっは。
「・・・はあ」
おかしくも何ともないや。
あたしは、用意された自室のベッドに盛大に寝転んだ。
目はウサギさんのように赤い。
知らなかった。あたしは意外と泣き虫なのだ。この目は泣き腫らした証拠、そのもの。
コンコン
・・・・・・・・・・。
扉をノックする音がする。入っていいです、という気力はない。あたしはノックを無視した。
コンコン
再びノック音。しかし、あたしはそれに答える気はない。
コンココンコンコン
今度はノック音がリズミカルになる。楽しそうだが、あたしは全然楽しくない。
あたしはノックを無視した。無視し続けた。
ココンコンコンココンコンコココンコン
「・・・しつけえ!!」
あたしは威勢良く扉を開けて叫ぶ。
「・・・あれ?」
しかしそこには誰もいない。
蔓植物に覆われた廊下には、人影がないのである。
「こ、これぞ噂の聞くコンコンダッシュ・・・!?」
何て古典的かつ、アナログないやがらせを・・・!
あ、でも何か新鮮。
「どうかしました?」
「うはほぇっ!?」
背後から声をかけられ、思わず意味不明な奇声を発する。
振り返ると、そこにはメイドキャップをかぶったオリヴィエがいた。その愛らしい姿は、とてもじゃないが男とは思えない。今気付いたが、良く見ると耳はとんがっていて、確かに人間ではないことを示していた。
「・・・オリヴィエ、さん?」
「オリヴィエで結構ですわ、チナミ様」
にっこりと笑った顔は、まるで大輪の薔薇のようだ。とてもじゃないが、あたしにできる顔ではない。
「お茶にしませんか? お口にあうとよろしいのですけれど」
言って、ティーセットと、スコーンやらサンドイッチやらケーキやらクッキーやらの、食べ物の盛り合わせセットを見せる。
「えっと・・・」
「失礼しますね」
あたしの濁した返答を承諾と取ったのか、オリヴィエは微笑を浮かべたまま、部屋に入ってきた。
テーブルの上にティーカップをおいて、ポットにお湯を注ぐ。色のない透明なそれは、ただのお湯だろう。あたしに紅茶の知識はないが、確かカップをあたためるのが良いとかなんとか。
こぽこぽこぽ・・・
オリヴィエはカップを温めて、湯を捨てた。そして、その中にお茶を注ぐ。
お茶の色は緑で、いわゆる緑茶だった。
「・・・・・・・・」
いや、別に変ではないのだが緑茶ならば、もうちょっとこう、それらしい入れ物の方が似合うんだけど。
「どうぞ」
「あ、どうも」
ソファに座って待機していたあたしに、カップを渡す。ティーカップは熱くて、中身も熱かった。想像していたより少し熱いお茶に、あたしは軽く舌を出す。やけどはしていないけど熱いものは熱い。少し冷ましてから飲もうと息を吹きかけた。
オリヴィエは猫舌でないのか、平気な顔をしてお茶を飲んでいる。
「・・・あのぉ」
「何でしょう」
カップを持ったまま、あたしは何かないかと話題を探る。
「・・・その、魔王について、なんですけど」
「はい」
何と言っていいものか、あたしは慎重に言葉を選んで、口に出した。
自分が魔王にふさわしいのか、そんなことはわからなかった。少なくとも聞いてみたい欲求はあったけど、なんだか怖い。
おそるおそる別の話題をふろうと考え付いた結果、自分ではない魔王のことを聞こうと決心した。
「前の魔王・・・って、どんな人でした?」
それを聞くと、オリヴィエはくすくすと微笑んだ。
「そうですわね・・・チナミ様にやはり似ています」
「はあ」
やはり、とは何だろう。やはり、とは。
「優しい方ですわ。少なくとも、魔王とは優しいのが条件なのですね」
オリヴィエはカップを置いて、遠くを見るような、そんな目であたしを見た。
あたしの目をまっすぐと見据えている。
「チナミ様、アーカーのことはどう思いですか?」
「・・・・・・・・」
即座に嫌なヤツ、と言ってやりたいが、本人がいないとは言え、それはどうだろう。
「・・・目的のために、手段を選ばないヤツだと思います」
我ながら良く選んだ答えだった。間違ってない、間違ってないはずだ。
それにオリヴィエは目を丸くし、噴出すように笑った。
「ふっ、あははは!」
「?」
「ああ、ごめんなさい。まさにその通りだったから、おかしくって」
くっくっく、と止まらない笑いを抑えるように、オリヴィエはお茶をすすった。
「うちの宰相閣下は、性格がお悪いことで有名なんですよ」
「宰相閣下ぁ?」
あたしは露骨に嫌そうに、信じられないという口調で聞き返す。
宰相って、あーた。確か大臣みたいなのじゃないっけ?
「そうですよ。ミリダスは我が軍の元帥で、サディルは軍団長ですよ。血は争えないですわぁ、一部除いて」
一部とはサディルだろうなぁ、と心の中で思ってみる。オリヴィエとサディルの心の溝は深そうだ。
「あれ? 血は争えないって・・・誰が?」
何か妙な食い違い(?)に気付いて、あたしは首をひねった。
サディルは、アーカーの養子だ。だから親子だけど、血のつながりはない。そういうことだ。だがオリヴィエの言い方は、まるで誰かと誰かが親戚みたいな言い方だった。
オリヴィエは「ああ、申し上げておりませんでしたね」とぽんと手をたたく。
「アーカーとミリダスは、親子ですよ」
「・・・はい?」
何か、またとんでもないことを聞いたような。
「だーかーら、正真正銘、アーカーはミリダスの血を分け与えられた、子供です」
「・・・・・・・・・・・・」
一拍置いて。
「・・・ええええええええええっ!?」
あのアーカーと、ミリダスが。
親子。
しかも、養子とかじゃなくて、正真正銘の。
「うそだぁ! 全然似てないじゃん!!」
「そうですよねぇ。性格はまったく似ていませんし、顔も雰囲気が違いすぎますものねぇ」
「だよねぇ!」
衝撃の事実に口調がフレンドリーになったが、そんなことを気にしていられない。
親子。アーカーとミリダスが。
「ああ、でも目だけは似てますのよ。あの二人」
「目・・・」
ふと思い出す。
ミリダスの目の色は、紅蓮の、炎のような煌めきだった。暖炉の中でぱちりと爆ぜる優しいオレンジ色。
対するアーカーは、冷たさの残るピジョン・ブラッドだ。硬質的で目にも痛いまでに鮮やかな、やや冷たい赤い色。
同じ暖色系の瞳にそんな繋がりがあったとは。あたしはしみじみと感慨深く思ってしまう。
「目だけじゃなくて、こう、精神的なものが似てほしかったなぁ」
そうすればあたしだってもうちょっとくらい優しくなれるのに。・・・多分。
「ふふふっ、そうですわね・・・」
「何であの男はあんなイヤミったらしいんだ。アレか!? 母ちゃんの腹の中にミリダスの良い人成分が羊水に流れ落ち、溶け切ってしまったのか!?」
「どうなんでしょ・・・。あたし、あいつの子供時代なんか恐ろしくて聞けませんよ」
確かに、想像し難い。
「・・・・・・・・・・・」
アーカーの小さい頃・・・。
「・・・・・・・・・」
アーカーの小さい頃・・・。
「・・・・・・」
う、うううううううううううん・・・・。
「・・・・くっ、駄目だ。あたしの想像力を遥かに凌駕している・・・。無理だ、こんなの・・・」
まだセンター試験の予想問題の方が難易度低いと思う。
「・・・あ、そだ。前の魔王様なんですけど・・・」
話を元に戻す。アーカーとミリダスの親子ということには、確かに驚いたがサディルとアーカーの関係のせいで、もう慣れてしまった。
驚いたことは驚いたが、その後の反応であまり落ち込むようなことに慣れたと言った方が正しいのか。
「誘拐、されたんですよね」
「ええ、そうですわね」
「・・・あたしが仮に、そう、仮にですよ? 魔王になったとしたら・・・どうなるの?」
「・・・あたしの口からは何とも。無事でいるかどうか、それすらもわからないのです」
それって、まさか。
「見捨てるの!?」
「・・・・・・・・」
魔王を見捨てる。裏切られるのではなく見捨てられる魔王もどうかと思うが、その結論にあたしは目をむいた。
「ほ、本気!? あんたらの魔王じゃない! 助けれないの!?」
「相手は、獅皇帝国です。あなたの世界で言うなら、“あめりか”とやらにケンカを売る、と言えばわかりますか?」
何でここに至ってあたしの世界の用語で説明するかな。とてもわかりやすいが。
そりゃ怖い。すっごく怖い。ぼこぼこにされて終わりだろう。核なんかでイッパツで滅びそうだ。
けど。
「でも、魔王なんでしょ! 王様なんでしょ!?」
「・・・申し訳、ありません」
オリヴィエはあたしから目を伏せ、謝罪した。
「あやまんないでよ! 謝るなら、その魔王さまとやらに謝ってよ!!」
信じられない。
ここの住人は、自分の王を見捨てようとしてる。それが、最後で、最良の選択肢であるかのように。
ひどい、ひどすぎる。これじゃあ、あんまりだ。魔王って言うのは、ただの道具で、役職でしかないじゃないか。
しかも、こうも簡単に見捨てられるんだ。
「助けようよ! あんたらの王でしょ!? それくらい・・・!!」
「――おやめなさい」
冷たい声がした。
ノックもせずに、扉をいつ開けたのか、その男はいた。
「・・・アーカー」
オリヴィエがその名を呼ぶと、アーカーはこほんと咳き込んだ。
「下がりなさい。候補殿は混乱している」
「ですが・・・」
「下がれ、と私は言いましたよ。同じことを言わせるのですか?」
何ともイヤミな言い方だ。オリヴィエは黙ったまま、席から立ち上がって、こちらを振り向きもせずに去った。
「さて」
アーカーの、鋭い視線がある一点へと注がれる。
右見ても、左見ても、彼の興味は一点だけに向いている。それはティーセットでも、キングサイズの豪華なベッドでも、100万ドルにも勝る夕焼けの景色でもない。
あたしである。
「オリヴィエは余計なことを言ってくれましたね〜。困ったものです」
やれやれと大仰に肩を落とす。その白い頬は、あたしが叩いたのだが、もう赤くなっていない。自己治癒能力が強いってすばらしい。
「お願いですから、魔王陛下のことは口に出さないでいただきたい。中には陛下が行方不明という事実すら知らない方もいらっしゃるのですよ?」
「・・・・・・・・・・・」
なんとなく、その理由は察知できた。病気だとかでっち上げて、都合の悪いことは知らないふりをしている。
反吐が出る、そう思った。実際に出すつもりは、あんまりないけど。
「・・・どうして」
「?」
「どうして、助けないの?」
あたしは、座ったまま、上目遣いでアーカーに聞いた。
立ち位置のせいで、自然とそうなってしまう。アーカーがぴくりと反応したが、何で反応したかなんて知らない。
「魔王でしょ? 必要なんでしょ? あたし、よく知らないけど大事な人なんでしょ?」
アーカーは、魔王を尊敬している――ような気がする。
決定打に欠けるけど、それは間違ってない。アーカーは魔王さまとやらを気に入っているのは間違いない。
「・・・大事ですよ。魔王ですから」
「それだけ?」
あたしはまっすぐとアーカーを見た。その硬質的な限りなく赤に近いオレンジが、わずかに揺れた気がした。
「・・・友人、と彼は私をそう称するかもしれない。ただ、それだけだ」
「友達を助けたいって、そう思わないの!?」
これには我慢できず、あたしは叫んだ。
「友達なら、辛い時とか困ってる時とか、助けなきゃって思わない!? 逃げてるだけじゃん!!」
ばんっ、とテーブルをたたいて立ち上がり、あたしは叫んだ。
「帝国だか抵抗だかティーカップだか知らないけど! 何で助けないの? 何で見捨てるの? 何もしてないうちから、全部あきらめるの!?」
「何も知らないお子様が何をほざくかと思えば・・・」
やれやれとアーカーは肩をすくめた。その挙動は本格的にあたしの発言に呆れたようだった。
「そうですね。まずは話を整理しましょうか」
こつこつ、とアーカーはこの部屋にあるお茶請けテーブルとは別の、もう一つのテーブルの上にある羽ペンを取り出す。
「今の魔王陛下は帝国と友好関係を築くため、帝国へ参りました。それがそもそもの始まりですね」
羽ペンをクルクルと回し、アーカーはテーブルにもたれかかり、優雅なしぐさで説明し始めた。
あたしは何か言おうとしたが、口を挟むべきではないと黙り込んだ。
「その帰り道、帝国の領土内を過ぎた頃・・・野盗に教われました。実に敵ながら鮮やかな、規律の取れた素晴らしい盗人どもでしたね」
その時、アーカーは魔王のすぐ傍らにいたのだろうか。その瞬間を思い出しているのか、紅血色の双眸が怒りの炎で揺らめく。殺気を放っているわけでもないのに、背筋に汗が流れた。
「彼奴らは帝国方面に逃げ帰り・・・途中、見失いました。ご丁寧にも足止め役の捨て駒を残して、ね」
それは、あまりに計画染みた襲撃ではないだろうか。アーカーは羽ペンを指先で回す速度を速めた。
「その後、どうなったか・・・知りたいですか?」
「・・・・・・・・・」
あたしは無言で首を横に振った。
それから、どうなったかなんて聞くまでもない。
帝国の領土内ではないから、と帝国は魔王を見捨てた。いや、そもそも帝国に誘拐されたのだ。
証拠はなく、どこまでも狡猾な手段で、この都の王は奪われた。
「・・・魔王は、生きてるの?」
「それくらいはこちらでもわかります。人間には出来ませんが、生命力を感知する力は我々の方が数段上だ。結界を二重に張っているが、存在を掻き消すような真似はさすがにできないようで」
「・・・そこまでわかってるのに、どうして!?」
「戦うわけにはいかないからですよ」
アーカーの声は、震えていて、怖がっているように見えた。そして、同時にどこまでも滑らかだった。
「獅皇帝国の国力は・・・我々を遥か上回ります。まともに戦えば、不利なのはこちらなのです」
喋っていくうちにアーカーは冷静さを取り戻してきた。それでも、さっきの動揺は隠し通せていないけれど。
「魔王陛下お一人と、都の住人全て・・・どちらを取るかなど・・・決まりきっている」
ぎり、とアーカーは拳を握り締めた。
「だからこそ、私は決断し厳命し、実行します。新たな魔王を立てると。そのためになら、どのようなことにだって耐えてさしあげますよ」
そして、アーカーは笑った。
どこまでも、どこまでも柔らかで、悲しげで、儚い笑みを。だが、それは一瞬で、その一瞬で厳しい目つきであたしを見下ろす。
あたしはアーカーを見上げた。
・・・わかった。わかってしまった。

アーカーは、魔王を助けたいんだと。

その宰相とかいう立場のせいなのか、声に出せない叫びが聞こえてくる。
助けたいけど、助けれない。あきらめ切れないけど、あきらめなきゃいけない。
子供のわがままと、大人の都合が争っている。
あたしの場合なら、子供のわがままが遥かに凌駕している。そんなあたしを、アーカーは嫉妬する勢いで睨み付けている。
お前に、お前なんかに何がわかるという、私だって出来るのもならという嫉妬の目で。
あたしは、この葛藤を知ってる気がした。大局で物事を見ると、ちっぽけかもしれないけど、どうしようもないくらい重要な何かを捨てなきゃいけない。
助けて欲しい、という声が聞こえた気がした。
「あなたは魔王になってもらう。どんな手を使ってでも」
出てきたアーカーの声は、予想以上に低かった。炎を司るものとは思えぬほどの、凍えるような敵意を含んでいる。
しばらくして、落ち着きを取り戻す。すると、激情はどこへいったのか、冷静に謝ってきた。
「・・・今までの非礼と、これからの非礼を詫びましょう。そして、別れを告げてください」
「・・・誰、に」
どこへ、とは言えなかった。アーカーはあたしの帰る場所を奪おうとしたのかと一瞬考えてしまった。
けれど、アーカーはそこまで冷血漢なのではないと、あたしは感じた。根拠も何もない、デタラメかもしれないけれど。
アーカーは告げた。平坦な声で。
「あなたが来る前に確かに存在した、魔王陛下に。私はその亡骸を背負いましょう。それが、私の選んだ道です」
アーカーは、覚悟していた。ただ、それは帝国とやらに玉砕覚悟でぶつかって、砕け散ってしまう覚悟ではない。
大事な誰かを犠牲にして、前に進む覚悟。あたしには到底出来ない覚悟だ。
勝てない。
あたしは、きっとこの覚悟を崩せないと悟った。アーカーは、どんな手を使っても、きっとあたしを魔王にする。あたしの意思なんてお構いなしに。
そして、アーカーはそれによって生まれる弊害、全てを叩き潰すだろう。あたしの批判なんて軽いものだ。口先だけなのだから、何とでもなる。たとえ武器を持って脅してもアーカーは屈しやしない。
でなければ、きっと覚悟の炎は消え去ってしまう。酸素を失った炎のように、掻き消えてしまう。
あたしは、何となくアーカーが炎の属性が強いということが理解できた。
ミリダスは、暖炉の炎のように暖かな印象だった。
けれど、アーカーは違う。
彼の炎は、目に付くもの全てを焼き尽くす、紅蓮色の破壊を撒き散らす火炎放射。文字通りの傷つけるために存在する兵器だ。
それに比べて、あたしの力は弱々しいこと、この上ない。
あたしの覚悟は、まさにセーターについた静電気のようなもの。触れば痛い。けれど、静電気を恐れ、セーターを着ることをやめる人間ははたしてどれほどのものか。
触れれば焼け焦げて一生残っていく傷跡と、触れれば一瞬だけの痛みを残していく形すらない傷跡と。
どちらかが痛いかなんて、子供でもわかる。
けれど、と思う。
全ての原因は、ここにはいない。それはどうしてだろうと思う。
あたしが、魔王になるにしても、どんな役かわからないけれど、全ての原因である魔王を助ければ、丸く収まるのではないだろうか。
アーカーは、魔王を助けたい。それは事実だ。
ただ、それを実施するだけの決定的な何かがないだけで。
魔王を助ける。言葉にすれば、とんでもないけれど、今の状況をどうにか打破するに相応しいと思った。
あたしは、自分が強いだなんて思ってない。
ケンカなんて、したことがない。あっても小学校の頃、男子を殴って保健室に直行させたくらいだ。
けれど、今のあたしには力はないのだろうか。無理だと決め付けて、流されるままに魔王になって。それで正しいのだろうか。
今のあたしには、誰も助けることのができないのだろうか。
そう思った瞬間、血の気が引いた。あたしは、平気な顔をして他人を見捨てることの出来る人間だと、そう言われた気がして。
バカだとか、ブスとか、そんな子供のような悪口に傷ついたことはある。
だが、誰かを傷つけるということは、もっと恐ろしいということを、あたしは知っている。傷ついて傷ついて、ぼろぼろになった心を、必死に守る苦しみをあたしは知っている。
その痛みを癒すことが、どんなに苦しいか、難しいか、知っている。
あたしは、その傷を治すチャンスを見逃して、死ぬほど後悔した。傷はふさがってないし、今も抱え込んでいる。
助けてあげたいと、心から思った。
アーカーは赤の他人(決して洒落ではない)だ。好きか嫌いかと聞かれれば、微妙な顔してどちらかと言えば嫌いかなぁと苦笑しながら答えてやる間柄だ。
魔王なんてに至っては顔を見たことすらない。会うことさえない。けれど、このアーカーは助けたいと言った魔王とやらは、どんな存在なんだろう。
優しいのだろうか、強いのだろうか。あるいはその両方か。
アーカーは、あたしとは、どこか似ている。全然似てないと言われるかもしれないが、似ていたのだ。
大事なものを切り捨ててしまったあたしと、大事なものを切り捨てようとしているアーカーと。
そう、涙が出るくらいに、似ているのだ。
違いは唯一つ。アーカーはまだ、切り捨てていないこと。
「・・・いいよ、わかった」
アーカーは言った。魔王の亡骸を背負うと。
魔王の死体がどんなものかなんて、知らない。
けれど、聞いたことがあるのだ。死んだ人間は、魂が抜けて、軽くなっていると言うのに、持ち運ぼうとすると異様なまでな重さを感じると。
魔王の亡骸は、アーカーにとってどれだけの重荷になるのか。
それを押し付けていいのか。あたしとは同じだけど、その量を背負えるのだろうか。潰れないのだろうか。
あたしは、自分に問いかけた。あたし自身にできることを。
「・・・?」
いきなり何を言い出すのかと、アーカーはきょとんとした顔になる。その顔がちょっといいなぁ、なんて思えるあたしは結構余裕がある。
「魔王になるよ。なったげる。じゃなきゃ困るんだよね?」
誰も助けられない。
それは、あたしが一番恐れていることだ。
目の前で倒れ伏していく、なんて戦争みたいな状況に立ち会ったことなんてない。
困った人を見捨てるのかなんて、陳腐すぎるセリフを言われたこともない。
あたしは、一度だけ、助けることができた。しかし、それをしなかった。そんな腐りきった経験がある。
それは刃になって、心を突き刺した。今でもその傷は残っている。どこまでも深く、癒される事を拒みながら。
だからこそ。
「・・・・・・っ」
アーカーのオレンジの瞳が、大きく見開かれる。始めて見る表情だ。それが、何だかおかしくて、笑う。
いいよ、もう。犬にかまれたと思って、半分あきらめてみるよ。
誰も助けられない人間には、絶対になりたくないから、助けてあげるから。
「ただ、前の魔王陛下を助けて。・・・手伝って」
「何を・・・っ」
何を言い出すのか、この女。
そう言いたげにあたしを見てくる。
でも、そんな視線は怖くない。あたしは、もう、覚悟してしまったのだ。
下らないと一蹴される覚悟。けれど、負けたくない。負けられないのだ。
「だってあたし、魔王なんだから。王は、臣民を見捨てちゃ、ダメなんでしょ」
王とは、民を見捨ててはいけない。
あたしは王とか、国とか、小難しいことなんて知らない、わからない。
けれど。
けれど、人として、王として、していいことと、やってはいけないことの区別はつく。
あたしは、魔王になれる。
そして、魔王だから、絶対に見捨てない。前に向かうために、あたしは覚悟する。
ちっぽけな、触れただけでやっと知覚できる覚悟。偽りもクソもない、あたしの素直な想いを乗せてみる。
「・・・・・・・・」
あたしの言葉に、アーカーは絶句する。
信じられないっていう顔だ。良い表情。一矢報いたって感じがして、あたしは唇の両端を吊り上げる。
その時のあたしの顔は、まさに魔王らしいものだったのだと思う。
・・・それは、あくまで推測に過ぎないのだけど。
「あたしは、魔王になる。命令されたからじゃなくて、自分で選んで。誰かを、助けるために」
アーカーは何も言わない。言えるはずがないのだ。
あたしはふと、自分の手を見つめ、思う。
こんな手でも誰かを助けることはできるから、と。




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