そんな趣味はない、断じてない 「バッカじゃないの!!」 女性の怒声は、寝室から聞こえた。チナミが眠っていた部屋からだ。その部屋は本来、アーカーが眠る場所であった。 つまり、彼のプライベートルームである。 「魔王陛下は、こっちに来たばっかなのよ? しかも得体の知れない胡散臭い怪しい変態臭のするオッサンと密室よ!? 少しは考えなさいよ!!」 「得体が知れないのと胡散臭いのと変態臭がするのは認めますが、オッサンは心外ですね」 明らかな悪態にアーカーは“オッサン”発言の撤回を求めた。それ以外は認めるということらしい。 ミリダスは一人ショックを受けて、涙目だ。彼には心のバリケードを作れるような器量はない。 そんなある意味で対照的な二人に対して、彼女は親の仇でも見るように睨んだ。 「乙女の繊細な状況もわからないオッサンは、オッサン以外の何者でもないのよ!」 この魔王にされるであろうチナミを気遣い、悪態をつく女性は、まだ少女に近い年齢だった。もう少しで成人しそうではあるが、子供っぽい物言いが、それを薄れさせている。 山間で見える花の色、茜色をした髪の毛を情熱的に震わせ、白いキャップも同じく左右にゆれる。 呆れたような桃色の双眸で睨むそれには、絶大な迫力があった。この城のメイドらしいが、その格好はチナミが見たものとやや異なっている。 彼女は紺ではなく黒のロングスカートで、首元は白い襟が赤いリボンで留められている。腰元に巻いた白い前掛けエプロンとで、清楚なイメージがある。そのかわいらしい顔に良く似合っていた。 「でも、オリヴィエ・・・時間がないのは事実だし・・・」 ミリダスが弁解しようと口を挟むが、オリヴィエと呼ばれた少女の反応は辛辣だ。 「ミリダスは、迷子の手を勝手につかんで、お家に乱暴に連れてってあげる? ・・・アンタ達のやったことは、誘拐犯と大差ないじゃないの」 バカみたい、と鼻を鳴らされては言い返せない。ミリダスはしゅんとなる。もともと口は達者ではないのだ。 「耳が痛いですね」 黙って聞いていたアーカーは両手を挙げて、降参です、とポーズをとる。 「まあ、脅してしまったのは謝ります。すいません」 「あたしに謝っても、全然意味がないのよーっ!!」 ぺこりと簡単に頭を下げて素直に謝るアーカーだが、そんなことでオリヴィエの怒りは収まらない。 「ああ、もうっ! 手段を選ばない管理職のヤツって最低! ミリダスはその性格で結婚できたけど、アーカーは絶対結婚できないわね!!」 「別に構いません。金と権力のある独身男性と、不倫と言うのもそそられる響きでしょう」 「お黙り、恥さらし!!」 まさに顔を真っ赤にして怒るオリヴィエだが、アーカーは飄々としている。人生経験の差は明確なのだ。 残念ながらオリヴィエでは、アーカーには勝てない。 そんな中で意外にも最年長であるミリダスは、あははと苦笑をしている。 「・・・もうっ、早く探しに行くわよ。外に出られるならまだしも、別の区画に行ったんじゃ、さすがに追いつけられないわ」 魔王城砦を中心に、魔王が治める領地は広大だ。その大きさは小国といっても過言ではない。 その領土は大人が南から北まで、歩いて一ヶ月はかかる道のりの上にある。 「何もご存知ありませんから。チナミ様は迷子になることは、間違いありません」 アーカーの言葉は、魔王の治める区域を全て知っているがゆえに、現実味を帯びていた。 さらに付け加えるならば、アーカーでさえ地元の住民の助力なしに、目印もなしにたった一人の存在を探し出すのは不可能だ。 「サディルにでも頼みますか」 あっけらかんとそう、大した事ではないと言いたげに提案したのはアーカーだ。 「えー・・・あの根性悪にぃ? あいつ、どこにいるかわかるの?」 オリヴィエは露骨に嫌そうな顔をした。 サディルはオリヴィエのケンカ友達の、飲み友達だ。親友、とまではいかないが、そこそこに親しい。 露骨に嫌そうな態度だが、オリヴィエ自身は公私と区別をしているので本気で反対するつもりはない。 「彼の行動パターンなんて、明日の晩御飯より楽勝で予想できます」 サディルとやらが蟻のような習性でもあるのだろうかと疑いたくなる言い方である。 「じゃあ、どこにいるんだい?」 ミリダスが控えめに問いかける。 「どうせ、この時間帯。城の周りにいるのは確実です」 「まあ、ああ見えて軍団長だし」 オリヴィエはしみじみとつぶやく。魔王軍の一師団の隊長格であるサディルは、軍人としてはそれなりに優れた人物である。 軍部に関係がある連中は、大体、魔王城砦のある中心部に集まる。 それはこの城砦こそが、この都市の要であるからだ。 「城の周りで、時間がつぶせる場所・・・」 サディルの居場所を想像していると、ミリダスの顔が赤くなったり、青くなったりした。 オリヴィエの目の下に縦線が引かれる。 「・・・アーカー、まさか」 「ええ、その通りです」 嫌な予想を肯定され、ミリダスはがっくりした。オリヴィエはやはり、と呆れている。 アーカーは、二人の想像を力一杯と肯定した。 「アイツの事です。あそこにいるとしか、考えられません」 あたしの作戦は成功だった。 もともと、オテンバの名を欲しいままにした子供時代。 すぐ近くにある小高い山で、秘密基地を作って遊んでいたのは、今となっては微笑ましい限りだ。 今ではその体力は完膚なきまで衰え、冬場の憎らしき風物詩の一つ、マラソン大会でひいひい走ったのは最近の記憶だ。 順位は中の下。マラソン好きなやつはきっと、自傷癖があったに違いない。 それに、上るのより、下りる方が楽だ。この辺は精神面の問題だ。 木の枝は太くて、あたしをあっさりと支えた。結構、丈夫なので安心した。 「ふふふ、いっくらアイツらでも木を燃やさないわよね」 さすがに火トカゲ(自称だが)ミリダスだって、お城に根を張る木は燃やさないだろう。燃やしたら一大事になる。 多分、運が悪けりゃ大火事で全焼するかも。まあ、魔王城なんだから、その辺は謎だけど。 それに、あの人が本当に火トカゲなのか怪しいが。 ゆっくりと、でも確実にあたしは枝と幹、城壁の出っ張りを利用して、下へと移動する。 風が強くて、滑り落ちそうになったけど、そこは人間死ぬ気になれば何だって出来る。 ファイトぉオォーいっぱぁあああつ!! と、ど根性込めて足で踏ん張った。 ・・・何か、女を捨ててしまった気がする。未成年のくせに。 「よっ!!」 そんなこんなで、地面の距離が縮まったので、あたしは飛び降りた。次の瞬間、あたしの足は地面と対面。 たっ! じいん、と広がる衝撃。少し痛い、痺れが残る。でも、この程度なら平気だ。静電気の痛みに比べれば屁でもない。 「くうっ、生きてるって感じ・・・」 じんじんする痛みは、涙目になる威力だった。 あたしは、建物の屋上を歩き回る。ちょっと広い。ついでに、高かった。その高さは学校の二階くらい。 飛び降りれば、怪我をするし、人の目を引くと思う。・・・人がいるのか、それは疑問だが。 「あ」 建物の壁際、つまりあたしにとっての行き止まりの眼下には、木で出来た何かがあった。 ハシゴだ。 「誰かが、お城の忍び込むのに使ってたのかな・・・」 まさか、そりゃあたしが降りられたとはいえ、あそこが通用口じゃあるまいて。あんな場所を出入りできるのは、よっぽど切羽詰ってるヤツか、空を飛べるヤツだけだ。 それか、山は上るためにあるのさ! なんて主張する変人か。 そういえば、上海の東方明珠電視塔を制覇した人ってどうなったんだろ。逮捕されたんだよね、可哀想に。あたしは結構その人好きなんだけど。実際すごい人だし。 それはともかく、だ。 あたしはよじよじとハシゴを利用した。目に付くものは使ってナンボだ。 「んしょっ・・・」 何と言っても寝間着姿で、スリッパなので、滑りかけた。もしかしたら裸足の方がいいかもしれない。でも、うかつに脱ぐ気にはなれない。 「さて・・・どーしよっか」 あたしは、広がる異世界を目の前に考え込んだ。 思い込む前に行動、そして問題はぶち当たってから考える。それがあたしの基本原理である。 考えなしのぽっぽこぴーと言ってしまえば見も蓋もないけど、事実だから仕方ないの。 しっかし、今のあたしって目立ってるなぁ。何か、じろじろと見られてる。 まあ、当然か。この格好は目立つ。 寝巻きだし。スリッパだし。あ、よだれが。拭いとけ。 けど動かずに、じっと待っているなんてイヤだ。あたしのガラじゃない。 行動派なあたしは、城下町へと足を運んだ。 どうやらあたしは停留所らしき場所のまん前にいるみたいだ。その証拠に線路があるし、駅らしき建物は、あたしの知ってる電車の停留所に似てるしね。 道行く人々――と形容していいものか――は多い。 「・・・・・・・・・・・」 し、視線が痛い! もう、これが矢とか剣だったら、あたしは死んでるよ。目立ってるよ・・・これじゃ、あの二人にすぐに見つかっちゃう。もうちょっと人目につきにくいところってないかな・・・。 あたしはこそこそしながら、道を歩いた。整備されている道路は、煉瓦色のドイツの街並みを思い出す。無論、行ったことなどない。あたしの知識面の話だ。 「・・・本当異世界だなぁ」 空は薄暗かった。 最初に見えた淡いラベンダー色の空は、大地の端の方から紺に染まり、あたしの頭上は青味がかった紫色が広がっている。 月は、なかった。先ほどまで見えた月は、もう姿を隠している。と言っても、この世界に月と言う概念があるかどうか、怪しいものだ。まあ、新月と言う可能性もあるが。 周りを見てみると、明らかな人外が跋扈していた。 心臓の悪い人が見たら、卒倒は間違いない。 ほうきを持った黒猫が二足歩行している。これで長靴をはいていたら、面白いと思うんだが。 かわいくて手元に置いておきたくなる愛らしさだ。ペットにしたい。 それから甲高い声で買い物する(?)10個も頭のある蛇玉なんか、ちょっと目を見開いた。 ファンタジー的知識を持つあたしは、そいつを知ってた。確かヒドラとかいう魔物だ。 耳を澄まして、それぞれが言っている事がを盗み聞きしてみた。 その内容は十人十色で、あっちのが安いから値段を負けろだの、何か他に商品ないのかだの、これ美味しそうだねおかーさんだの、と言っていた。 歩く大家族ヒドラのようである。家庭崩壊したら、サイアクだなぁ。 巨大なスライムが跋扈しているのは、まあお約束。歩いた(?)跡がまるでナメクジのそれに似ていた。 ・・・こいつ、意思疎通ってどうやってるんだろ。 五分も歩くと、いい加減、驚くこと自体に耐性を覚えた。悲鳴が出そうなくらい驚いた事実も、何度も繰り返されれ色褪せてしまう。 あと、ここにはマジで人間がいないみたいだ。 鱗を持った空飛ぶ魚とか、巨大な凶悪なツラした犬とか、でっかい角を生やしたイノシシとか、とにかく人間がいないのだ。 人間に近い姿なのは、頭が狼で、身体は人間な狼男。 それか、白い半透明なローブを着込んで、顔が判別できない、ふよふよと浮いているのとか。 だが、それ以上に何だか違和感を感じた。胡散臭い所だが、何か変だ。それが何なのか、あたしも良くわからないけど。 気がつくと、そこは大道路だった。あたしは覚悟を決めて、すたすたと歩く。前へ、前へと。 道をずっと歩く。 すると、人影が一気に増えた。雰囲気も騒がしく、陽気だ。 集団で騒いでるものもいれば、端っこで謎の物体を吐いているのもいる。さらには火を吹いて、頭をドツかれる奴もいた。 好奇の視線は強まるばかりだが、もう開き直った。 どうせあたしは異端児、変な目で見られる運命なのだ。運命にしてはショボ過ぎるが。 しかし、あたしはこの街がどんなものなのか、知らない。 ただ、上から見下ろして、ひたすら広かったような気がする。目に痛いくらいに広く、美しかった。世界遺産に登録されるような、街並みと自然が。 「・・・聞いてみるか」 あたしをここに呼び寄せたんだから、戻る方法もあるはずだ。 なくちゃ困る。もしもないと言ったのなら、あの二人を十字架に縛りつけ、1ヶ月ほど放置し、ねこじゃらしでつついてやる。作戦名、その名も砂漠のプロメテウス。 何で砂漠なのかと言うと、語呂がいいから。 ただ、その帰宅方法が問題なんだけど。もしも水洗便所に顔を突っ込んでください♪ なーんて笑顔で言われたら、あたしは立ち直れないかもしれない。 ともかく、情報収集。その辺の人に話しかければ、たとえ悪魔だろうと天使だろうと反応する。それがロールプレイングゲームのお約束だ。 手っ取り早く、お店っぽい家にお邪魔してみよう。 ここはファンタジー。初対面の人の家に勝手に上がりこんで、ツボを割ったり、タルを持ち上げたり、盗賊愛用の鍵を使って宝箱をオープンさせたっていいんだ。 ・・・そう思わないと、やっていけないんです。ええ。本当はやりたくないんだけど。 「・・・ごめんくださーい」 それでもお邪魔します、と礼節を守るあたしは、やっぱり一般人だ。魔王なんかの器じゃない。 大体、魔王って言ったら姫様をかっさらって、ドラゴンを番人にして閉じ込めて、勇者に刺客を送り込み、最終決戦で勇者に世界の半分をやろうと提案し、世界を絶望の淵に叩き込み、敵の王城と目と鼻の先にある孤島に自らの城を造ってジレンマを誘い、闇に従属するもの達を支配する存在じゃないのだろうか。 ・・・・・・・・・・・。 ダメだ、あたしに出来る魔王らしい悪行って言ったら、お隣に住んでる幼馴染(極度のオタク)のフィギュア、りんごたん(限定1000品の特注品で売値は8000円)誘拐くらいだ。 そして、番人をつけず、鍵のついた机の引き出しに封印が精一杯だ。 良くて囮を作って、その引き出しを二重底にして隠す。 本当の鍵をボールペンの芯にして、それを使わずに無理やり中底を開けると、火が出ることにするか。 まあ、そこまでやったら犯罪スレスレ行為なんだけど。 する必要もないんですけど。 「どなたか、いませんか〜」 心細いのを我慢して、声を出す。さっきよりも大きく。 入った部屋は、概観が古びた喫茶店に似ていた。そして、中も薄暗い。 「・・・開店前だったの?」 扉には札がかけてあったが、あたしには読めない文字だった。何て言うか、古代文字みたいなの。その形状はルーン文字に近いのか。頑張ればアルファベットに見えなくもない。 「読めない・・・よねえ」 良くみるとギリシャ文字に似てる気もする。あとアラビア文字とか。 せめて漢字にしてくれ。 ・・・それはともかく。 あたしは部屋を見渡す。 酒場、みたいな所だろうか。ここは。 黒いシンプルなテーブルがあって、その向こうには瓶とグラスが棚に収められている。 色とりどりの瓶と、水晶から切り取ったようなグラスは、店内をどこからか照らす、淡い紫色の光で乱反射する。 この辺はあたしの知っている――決して行ったことはない――おしゃれなバーとかパブのイメージに近い。 ついでに言わせてもらえれば薄暗く、目がしょぼしょぼする。淡い光が、部屋全体を包み込んでいる。その光は、部屋自身から出ていた。 部屋全体が光っていると気付くのに、少し時間がかかった。 「すご・・・」 何だか、不思議な部屋だ。鼻腔に甘い匂いがついた。バラのような甘い花の香り。 あたしは奥に誰かいるのだろうかと思って、廊下につながっているらしい扉に手をやる。 「・・・おこんばんわー」 そこはやっぱり廊下だった。先程の部屋と比べると、明るい。天井には、石が引っ付いて、それが廊下を白く照らしていた。 廊下は、その長さ30メートルはあるだろう。長いけど、擦れ違うとぎりぎりになる微妙な狭さがあった。 白い壁にはカラオケみたいに、いくつもの部屋につながる扉がある。 ・・・本気でカラオケに似てるなぁ。この前、ノンストップで十四時間ほど歌いまくったので、そのカラオケ施設の構造は頭に叩き込まれてるし。 あたしは、一番手前の扉をノックした。 「・・・すいませーん」 返事はない。ただの部屋のようだ。 「もっかいお邪魔しまーす・・・」 きい、とおそるおそる扉のドアノブを回す。がちゃり、と音がした。鍵はかかってない。 中は意外と広かった。二人くらいが寝泊りできるくらいのスペースだ。 普通の部屋だった。ただ、恐ろしくものがない。必要最低限の家具しかない。 まずベッドが一つ。その上には枕が二つあった。引き出しがあって、その上には水に入った小さなお盆があった。 そして、なぜかタライがある。タライといえば、頭の上に落ちてくるのが宿命の水桶だ。ちなみに、これは木製。 何でこんなところにあるのかは永遠の謎なんだ、きっと。 それから、壁には服をかけるらしいハンガーらしい作りをしたものと、簡易的なクローゼット。 左の壁には扉があって、向こうからは水音がする。炊事場か何かだろうか。 「・・・どしよ」 水音がするということは、誰かがいると言うことだ。しかし、やっぱり何と言うか、微妙に怖い。のぞいて見る気にはなれない。 とりあえず待ってみた。話が通じる人に合いたいと言う一縷の望みが、ちょっとあったのだし。 しばらく、扉のすぐ近くで棒立ちに待ってみる。 「・・・ああ、もう来たんだ」 そう言って入ってきた人影が一つ。あたしは何か言おうとした。“いや、あのすいません、こんな夜だか夕方だかの時間にですね、あのここどこですか魔王って何ですか誘拐されたとは何事ですかあたし異世界人なんですけど帰れる方法知りませんか”と長々と聞いてやろうと思ったが、できなかった。 声が、扉から入ってきた彼のせいで、止まってしまったのだ。 あたしの中にある時間と言う概念が、ぽーんと景気良くすっ飛んでいったと言ってもいい。 目の前に現れたのは、口から魂が吸い取られるくらいの美形だった。 ダイヤモンド、サファイヤ、アクアマリンなどの青か透明な色の宝石を、そのまま人にしたような絶世の美男子だった。 柔らかく、艶美に微笑む姿は、失神しまいそうなほどの芸術品である。ミロのビーナスも、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナ・リザも、マグラダのマリアも、彼の前では土下座して賛美しそうだ。 水に濡れてしまった水晶色の髪の毛が、白すぎる肌にべったりついて、男ということも忘れるほど異常なまでに色っぽい。 ・・・鼻血が出そうになったが、何とか耐えた。偉いぞ、あたし。 もしも中世ヨーロッパにいた悪趣味な金持ちが彼を見たら、剥製にしてまでそばに置いておきたいだろうと想像してみる。 ・・・そんなことを思いつくあたしが、真に悪趣味はあたしかもしんないけど。うわ、情けねー。 「今日はフィアもいないんだね」 「ああああああの、ああああえええええっとおおお」 美形に免疫なんてない。壊れたラジカセみたいな音声を発する。腰が抜けそうだ。 いや、抜けるを通り越して、砕けそうだ。跡形もなく、粉々になるまで。 「いいよ。じゃあ、そこに座って。何もしなくていいから」 「はははは、はい」 さ、逆らえん! どうしよう、お父さん、お母さん。あたしは魔王への生贄以前に、鼻血で失血死するかもしれません。この年で、失禁して気絶するかもしれません。 だって、美形なんだもんよ!! 鼻血が出るくらいにさあっ!! 超絶美形青年は、極度の緊張で怯えまくった(色んな意味で)あたしを見定めるように眺め、あたしをベッドに座らせる。 そして、腕を取られた。 中世の騎士が、お姫様にするような動作で。 冷たい肌には、コラーゲンとヒアルロン酸を感じさせる張りと艶とがあった。 な、何ですか、この状況。ぞくぞく、と何かがこみ上げてくる。 「キレイな肌だね」 「めめめ、滅相もない! あなた様の方が何千倍とお美しゅうごじゃりますです、はい!!」 もはや敬語ってなぁに? な世界にホールインワンです。 あたしの腕、そりゃどっちかてーとインドア派なあたしの肌は、そりゃ白いですわ! むしろ、「太陽に今すぐ当たってこいよ、モヤシ娘!」「うるせぇ、ラスボス戦中に何をほざくか!」と低レベルな親子ケンカしましたから! 引きこもり属性ありますから! 病院の看護婦さんが白いから、血管見つけやすいわ〜、と大絶賛ですから!! ・・・ああ、口調がどっかのお笑い芸人みたいになってますよ。残念! とか言いませんよ、あたくし。 ぺろっ 「ひっ・・・!?」 なななななななな!? 生暖かい感触がっ! 腕に! いや手首に! な、舐められているのか、あたし!? 「うん、感度はいい」 「かかかかか、神戸って誰っ!?」 英語で言うならゴットドア。あ、何か語呂いい。って、問題はそこではない。 あたしを構成する、一番大事な芯と言うべき器官に、悪寒が走った。それは即座にあたしの身体に伝達し、サブイボを作り出した。 痒い。ひたすら痒い。掻き毟りたい。身体全体を。 その痒さの原因は言うまでもなく、眼前に立つ美の化身である。 ぱさりと、布が落ちる音がした。 彼は、なぜか服を脱ぎかけている。 ・・・・・・・・・・いや、訂正しよう。 嬉々として(気のせいである事を切に願いたいが)服を脱いでいる。 あたしの、猜疑心と恐怖心と、未知のものに遭遇して、どうしていいかわからない困惑を、全部足してかけた挙句に、それ全部をさらに濃縮した顔に向かって、凄絶なまでの麗貌を誇る青年は微笑んだ。 文字通りの水も滴るイイ男。でも、この身にとんでもなく危険を感じるのはなぜだろう。 「・・・ああ、もしかして、始めて?」 「は?」 何が始めてだって言うんだろ。あたしは思わずきょとんとしてしまう。 しかし、次の瞬間、彼の紡いだ言葉でそれを理解してしまうあたしは、本当にお年頃で、反抗期。 「大丈夫・・・優しくするから」 そう言った美しいという言葉しか似合わない彼は、満面の笑みを浮かべた。 あまりにキレイ過ぎて、まぶしいくらいの笑顔だ。目が潰れるんじゃないかという、完ッ璧な笑顔。 だが、その唇の端にある、酷薄で残忍な何かが漂うそれは、一体何と形容すればいいだろう。 そして、海よりも深い色をした目には、愉悦の色が浮かんでいた。 さらに、あたしの腕を爪で食い込ませる。痛いのだが、それ以上に彼の笑みと、漂う瘴気に呑まれた。 今までで、最高潮の悪寒があたしを襲った。 ただ、気温が寒くて鳥肌がたつこともある。耳から砂糖を吐き出しそうなセリフに、痒いと感じることもある。 だが、これは最低最悪な時に発生する悪寒だった。 発生例の一つとして、それはあたしが家に帰る途中にある54段もある階段を踏み外した時。 もしくは、幼き頃のあたしが高さ3メートルの崖からダイブした時。 つまりは、あたしにとっての、最悪に属する身の危機。 あたしは、防衛本能に従って、思わず後ろに腰を動かした。 ――この美青年が、どうしようもなく恐いのだ。 彼は、ごく自然な動作で、あたしの手首を羽交い絞めにし、ベッドに押し倒した。 恋人同士なら、なかなかロマンチックである。 だが、あたしと彼は初対面。断じてファーストコンタクトでやっていい行動ではない。 その手には、恐ろしいことに鎖があった。一体どこから出したのか。疑問を抱く時間すら、あたしにはない。 あんまり直視したくないが、あたしにはそれが古風な手錠に見えた。 じゃらり、と伸びた鎖は手首を固定する板につながれていた。板には小さな穴が二つ開いていていた。 それをつけられるのは、あたしの感覚では中世の犯罪者達だろう。本当に犯罪を起こしていない人もたまに付けられた、頑丈な手枷だ。 あたしの手首を固定している手とは別の手が、服の中に入り込む。ぞわ、と悪寒。撫でられている。 手錠の使い方や、彼の行動、セリフから推測して、あたしの頭の中にある一言が浮かぶ。 ヤられる!? そんな思いがあたしの脳内に駆け巡った。「ヤ」の部分の犯か殺が入るのかは、ご想像にお任せしよう。 「ひっ・・・」 それは、まさに条件反射。危機本能の警報。 あたしの目線が、ふと引き出しのタライへと向いた。 「ん?」 一瞬。ほんの刹那の時間だ。 あたしの様子を怪訝に思ったのか、空前絶後な美形の持ち主の腕の力が緩んだ。 「わああああぁァァアあッ!!?」 あたしは、凄まじい勢いで、タライを一瞬で引き寄せ。 それこそ、神速で防衛本能に従う。 ごツッ!! あたしに襲いかかった(?)男の脳天へと、一撃必殺、聖騎士団秘奥義ライジングフォースっっ!! 「・・・・・・っ!?」 すごく痛そうな音がした。そして、あたしと美男子の目線が5秒くらい合う。 ぐらり、と彼の身体が揺れる。目の色に光はない。虚無的な色をした目だが、かと言って意識の有無について医者でもないあたしはわからない。 ・・・・・・硬直。 目が合った。 視線が交錯する。今のあたしは、地獄に落とされるような顔をしているに違いない。 どっどっどっどっど、と心臓が脈打つ。 どさっ 彼はゆっくりとベッドに、つまりあたしに向かって倒れこむ。身動きが取れるはずもない。あたしは、もう緊張と疲労で悲鳴すら上げられないのだ。 声なんてものは、やっと人間に理解できる嗚咽にも似たものしか出ない。 「・・・・あ・・・うっ!?」 あたしは絶世の美貌を持つ彼の下で、硬直する。状況が状況でなければ、こっちが気絶してしまいそうな事態だ。 「・・・あ、の・・・も、もしもーし?」 「・・・・・・・・・」 声をかけてみる。当然ながら、反応はない。 「・・・・・・・・・」 「・・・ッ、はーっ、はーっ・・・!」 どうやら、気絶したらしい。いい音したもんね・・・。 そして、思いっきりあたしは息を吐いた。自然と緊張していたのか、あたしの息は荒い。 あたしはずりずりと、気絶した美男子君の身体から這い出た。緊張しすぎて、冷や汗をかいてしまった。 「あ、あうううっ・・・!!」 あたしはベッドから立ち上がろうとする。 だが、出来ない。力が入らない。 「こ、腰抜けた・・・」 腰抜け、という罵り言葉があるが、今まさに言われたらあたしは絶対に言い返せない。 そんなあたしの取った行動。 あたしは、醜くも地面に腹ばいに伏して、手で這って移動する事となった。 次へ 前へ 戻る |