「あ」
珍しい、と思わずイールフォルトは声を出した。
「・・・あなたは」
右の頬に仮面紋の刻まれた、青年。確か、ザエルアポロと交流のある――このこと自体が奇跡だとイールフォルトは思った――ノイトラの部下だったはずだ。
常にノイトラの後ろに控えている、生真面目な青年というのが、テスラの第一印象だ。
なのに、今日は一人だった。ノイトラの気配も霊圧も存在しない。珍しい。
「・・・テスラ、だったか?」
「あなたはザエルアポロの兄の・・・」
イールフォルトは少し顔を潜めた。その覚えられ方はあまり好ましいものではない。
「イールフォルト、イールフォルト・グランツだ。あんなカスみたいな弟と一緒にするな」
アレと俺は別物なのだから、と内心で毒づいておく。イールフォルトはザエルアポロの所有物ではない。それどころか、二人の接点はあまりにも少ないのだ。
弟は頭脳労働を得意とするが、兄はどちらかといえば肉体労働の方を好む。性格はまったく似ていないとは言いきれないが、ザエルアポロの方があまりにも横暴な面が目立つ。
「わかりました、イールフォルト」
言ってテスラは穏やかに微笑む。邪気のない顔だとイールフォルトは思った。
「・・・座って良いか?」
テスラは本を読んでいた。何の本かは知らない。見た目と同じく文系なのか、と少しイールフォルトは興味を持った。
イールフォルトは弟のような実験を繰り返す学者タイプよりも、物語などを意外にも好む。周囲にいる破面はそういった興味があるものがいないので――最たる例が主であるグリムジョーだ――イールフォルトは少しテスラに親近感を覚えた。
「どうぞ」
きちんとこちらを見て、応対する。イールフォルトはこの親切さに何だか泣きたくなった。優しくされるのが久しぶりなせいかもしれない。
「・・・待ち合わせか?」
「ええ。・・・最近、ノイトラの様子がおかしい」
テスラはノイトラの従属官ではない。多分、そうなるのも時間の問題ではないかと思う。テスラは親友のように、時には親のように甲斐甲斐しくノイトラに接している。
一部の俗物的な噂では、デキてるんじゃないかという噂もあるが、あくまで噂は噂だ。イールフォルトとしては、テスラやノイトラの恋愛事情などに足を突っ込みたくない。
テスラはまだ許せるが、ノイトラに関わったら最後、目も当てられない光景を見てしまうのが怖い。
「何だ、具合でも悪いのか。殺しても死にそうにないくせに」
「いや、そうじゃなくて」
テスラは本をおいて、言いよどんだ。
「・・・最近、ザエルアポロと一緒にいる」
「ぶっ!!」
イールフォルトは思わず噴出した。
あの、ノイトラが?
ザエルアポロと?
恐ろしい。まだグリムジョーとウルキオラが会話をしている方が可愛げがある。あの二人は、仲は悪いが、周囲の空気をちゃんと読める。
「・・・悪いことは言わん。ノイトラにあれと関わるのはやめろと伝えておけ。死ぬとまではいかんが、恐ろしい」
「・・・いや、だが、その、話していると言うことが・・・」
テスラは言いよどんだ。イールフォルトに話していいのか、迷っているようだった。
「安心しろ。口は堅い。あれが関わっているんだ。その、少し、責任というかだな・・・」
イールフォルトはごにょごにょと言った。正直、ザエルアポロの尻拭いをしたことは何度かある。なぜかと言われてもイールフォルト自身は良くわからないが、ザエルアポロを完全にほおっておくことはできない。これが兄として生まれ持ってしまった世話焼き体質のせいかもしれない。
あまり知られていないがイールフォルトは、兄属性のおせっかいな性質を持っているのだ。困っている同胞を見るとほおっておけないらしい。本人に自覚があるのかは不明だが。
「・・・すまん。あんなんでも、一応は俺の弟だ」
イールフォルトはザエルアポロのしでかした出来事を思い返し、胃を抑えた。サンプルが欲しいから、とメノスの森にほおりこまれたり、市丸のオモチャにさせられたり、色々だ。
「いや、あなたが謝る必要はありませんよ。相談しているのも、少し私的なことですし」
「そうなのか」
それを聞いて安心した。しかし、同時に疑問に思う。ノイトラにとって私的なこととは何なのか。
思い当たる節は、なくもなかった。
「・・・ネリエル様か?」
「・・・・・・・・・」
イールフォルトが言うと、テスラは微苦笑した。どうやら当たりらしい。
「ノイトラはネリエル様に突っかかっているからな。この前も、第八宮を派手に壊した」
「ああ」
それにテスラはため息をついた。
「ネリエル様は女性だから。それがノイトラは気に入らないらしいんだ」
「意外だな。男尊女卑なのか、ノイトラは」
そういった細かいと事は気にしない男だと思っていたが、とはイールフォルトの談だ。ノイトラは好戦的で、イールフォルトの主人でもあるグリムジョーに近い面を持っている。
グリムジョーは意外にも女性には一応は紳士的だ。邪魔にならない限り、変なマネはしない。元々、義理人情に厚い男なのだ。
ノイトラの場合、邪魔者に容赦がない面で、グリムジョーとは似ている。しかし、それが女をないがしろにするのは意外でもあった。
「・・・どうだろう」
「・・・まさかネリエル様を十刃から追いやろうとする相談をしているのか?」
「それについては当たらずとも、遠からずといった所か」
テスラは疲れたようにため息をついた。
「・・・正当な手段で勝てるわけがない。だからザエルアポロと相談か」
イールフォルトは呆れて肩をすくめた。
「ほおっておけばいいんだ。ネリエル様が十刃に相応しくなければ、いつかその名は地に落ちる。ノイトラも時間をかければ、いつかネリエル様を越せると思うが」
ネリエルは強い。イールフォルトはそれを知っている。だが、同時に誇り高くもあり、それは諸刃の剣ではないかと思う。
おそらくネリエルと同等の力を持ち、戦いに全てを委ねるような誰かと戦えば、ネリエルは負けるだろう。
あの人は、優しいから。その優しさが、ノイトラを傷つけているなんて思ってもないだろう。
「そう言ってくれると、少し救われる」
テスラが穏やかに微笑んだ。
「・・・俺には、ノイトラが哀れに見えるがな」
イールフォルトは空を仰いだ。本来、この世界にあるはずのない蒼穹。外には荒野と闇が広がっている。
「水面に映った月を追いかけている。・・・まるで片恋でもしているようだ」
「それ、ノイトラに言うと大変ですよ」
「・・・ああ、俺もそう思う」
だが、あえて言っておこうと思った。本人ではなく、その右腕に。
「俺はネリエル様のことは尊敬している。ノイトラのことも嫌いじゃない。ややこしいことにならない事を祈っている」
「そうですか・・・」
ちらり、とテスラはイールフォルトを見た。思えば交流がないが、良い話し相手になるのではないかと思った。
「・・・また、来ますか?」
テスラはじ、とイールフォルトを見た。イールフォルトは真っ直ぐな、迷いのないそれに見惚れる。
やがて、イールフォルトは返事をした。
「・・・ああ。また、話に来る」
「はい」
にこやかな笑みを浮かべて、テスラはイールフォルトを見送る。
「また会える日まで、お元気で」
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