煙を吹く試験管と散乱したビーカー。真っ白な実験室が、僕の部屋だ。
もう随分とこの部屋から出ていない気がする。いつだったか、グリムジョーのやつに引きこもりだの何だの言われて、実験材料にしてやろうかと思ったことがある。
そんな他愛ないことを思い出し、僕は隣にあるベッドに倒れこんだ。実験室の隣はベッドルームで、すぐに眠れるようになっている。
疲れてはいる。だが、眠くはない。
「・・・どうしよっかなぁ」
案はいくつかある。
一つ、ノイトラの所に殴りこむ。
ノイトラは何だかんだで、僕の暇つぶしに付き合ってくれそうだ。ただ、潰れやすい。だから却下。
実験実験で、しばし交流のなかった僕としては、もう少し長い時間の暇を持て余したい。
ノイトラは本気で飽きたら、徹底的に無視を決め込む。その頑固さは、梃子でも動かない。だから多分、途中放棄となってつまらない事になるだろう。
二つ、グリムジョーの所に殴りこむ。
僕のこと、引きこもりだの何だの言っていたのを思い出したので、そのお礼に何かしてやろうかと思った。だが、コレはいつでもできるな、と却下。
そして、三つ目。正直、コレが本命だ。
兄貴の所に殴りこむ。
僕がやってきたら、兄貴はどんな顔をするだろう。愛想笑いをして出迎えるなら、優しくしてやる。どっぷりと甘やかしてやる。
しかし、同じようなことを前にした時は、死ぬほど嫌そうな顔をしていた。あの嫌そうな顔で出迎えたら、縛ってやろう。けど、僕は優しいから、ついでに組み敷いて、兄貴の好きなことをしよう。
実にいい考えだと、僕はほくそ笑みながら兄貴の元へと向かった。
グリムジョーやらウルキオラと群れていると思いきや、兄貴は自室にいた。霊圧で、それくらいは簡単にわかる。
虚圏に時間の概念なんてない。太陽の存在はあるが、あるだけだ。あったとしても、砂時計で24時間をはかるなんて不可能なように、それに縛られることなどない。好きな時に好きなことを好きなだけやればいい。
そういう意味では、僕が規律から一番離れている生活を送っているのかもしれない。日常生活というのは、それを送るヤツの性格に左右されるものだから。
わかりやすい例としては、ウルキオラ。あいつはご丁寧なまでに、常に几帳面な生活をする。多分、人間と同じようなペースだろうが、身体を休める時間がまったくないのが、らしいと言えばらしい。ウルキオラがもしも人間なら、過労で倒れるのではないだろうか。まあ、いわゆるヤツはワーカーホリックなのだから、仕方ないと言えば仕方ない。
そして、僕の可愛い兄貴の場合、自分でルールを決めて、意外に規則正しい生活を送っている。
兄貴は口調こそ粗野で、乱暴で、いかにもカスらしい負け犬のように吠えまくる男だが、ああ見えて神経質で、繊細だ。
ただ、あのグリムジョーに尻尾を振ってついていく姿だけは、どうも頂けない。
いや、実際にアレは主人に尻尾を振る飼い犬そのもので、別に可愛くないなんて思ってない。ただ、懐く相手が殺してやりたいと思っているだけだ。
従属官について、別に文句をつけるつもりはない。
だが、あのグリムジョーの下というのが気に入らない。まだノイトラとか、ウルキオラの方がいい。兄貴がグリムジョーに抱いている感情は、ある意味危険な起爆剤だ。
もし、兄貴がグリムジョーのものになったらと想像するだけで、吐き気がする。内蔵をひっくり返し、中身を外に吐き出させて、また元に戻すような、そんな感覚がこの身を襲う。
何だか苛々してきた。僕は靴音を響かせるように、虚夜宮に良く響く。
カツカツと無機質な音が廊下に響く。基本的に、廊下に人影はいない。この虚夜宮は広すぎて、会おうと思わなければ誰とも会えない。望まない限り、会いたくても会えない。そういった構造だ。
そして、兄貴の部屋に着く。兄貴が藍染様に与えられた部屋はこじんまりとした、小さい部屋だ。まあ、兄貴一人が暮らすには十分すぎるスペースがある。もちろん、僕の実験室とは比べ物にならないくらい狭いのは事実だが。
ノックもせずに入る。部屋はやけに静かで、暗い。なぜかと思ったら、窓のカーテンを閉め切っているのが原因だ。
そして、部屋に入ってベッドへと向かう。
「・・・ん・・・?」
白い布の塊がみじろいた。細く長い金糸みたいな髪の毛が、布団から流れ出ている。イールフォルト・グランツ。どうしようもないカスで、僕の実の兄だ。
出迎えも何もなかったので、僕の機嫌はどんどんと下降していく。
それでも、気持ちよさそうに寝ている兄貴は、綺麗だった。
眠り姫とか、そう言うおとぎの国にでも住んでいそうな。黙っていれば美人なのだ、兄貴は。
それが口を開けばカスだの何だの、頭が悪い言葉を連発する。それだけで頭痛と眩暈がしそうだ。
けれど、眠っている今の兄貴は―――
「・・・ソソられるね」
にい、と唇をゆがめ、笑う。
ぎしり、とベッドのスプリングを軋ませて、僕は兄貴を押し倒すようにまたがった。
長い睫は、髪の毛と同じ金色。頬は陶磁器のようにつるりとしている。その頬を、僕はなで上げる。ゆっくりと、優しく。
「んぅ・・・」
反応した。このまま首を絞めたらどうなるだろうと思ったが、あえてやらない。代わりに深く、唇を重ねた。
僕の唇は乾燥していたが、兄貴は違った。リップクリームか何かつけているのか、ぬるりとした。兄貴はこういった女々しいものが大好きだったりするから、お笑い種だ。
ゆっくりと、じんわりと熱が広がる。この波紋を広げたくて、思いっきり口内を暴きたてようと、舌に噛み付いた。
「・・ん、ぐぅ・・・!?」
突然の痛みに驚いた兄貴は、白皙の瞼を開けた。眦から、小さな雫が落ちた。
けれど、そんなことは知ったこっちゃない。僕は舌を噛み、血を流させて、それを舐め取る。苦いはずの鉄の味が、蜜のように甘い。
また、歯茎やら、歯やらを舐め上げると、兄貴は声にならない嬌声を上げた。
そして、こういう事をする度に思う。どろどろにお互いが溶けて、流れ出て、皮も肉も骨も、その間に流れる血潮も、無数に枝分かれする神経の管も、全て一つに慣れたら良いのに。細胞の一つ、霊子の無次元数ほどに、共有できたらいい。
貪るように食い尽くしてしまいたいと、そんな嗜虐心をソソられる。
「ん、ふっ・・・ザエ、ル、アポロ・・・!?」
完全に目を覚ましたのを見計らって、僕は唇を離した。銀の糸が互いに引き合って、どこか淫靡だ。
そして、顔を赤らめ、僕を見上げてくる兄貴自身も。
「おはよう、兄貴」
「テメ・・・何しやがる!?」
色気も何もクソもな言い分だ。まったくソソられない。もう少し空気を言うものを読めないものか。
「兄貴が僕がいるのに眠っているのが悪い」
「・・・お前な」
兄貴は呆れたように僕を見上げた。押し倒しているような格好なのだから仕方ない。兄貴はあまり怒っていないようだった。
「兄貴、一緒に眠っていい?」
わざわざ聞いたのは、僕自身、その理由はわからない。
別に兄貴が嫌がったとしても、僕は兄貴のベッドで寝る。けれど、今日は兄貴を甘やかすのでもなく、甘えたかった。
「・・・嫌だって言っても、寝るんだろ」
兄貴は苦笑したように笑って、シーツをはたいた。ここで寝ろ、ということらしい。僕は言われるがままに横たわる。
リネンの枕カバーからは、兄貴の匂いがした。
「・・・寒い」
つぶやいて、僕は兄貴に擦り寄った。兄貴は何ともいえない複雑な顔をして、僕を見下ろした。
「・・・気持ち悪いな。実験のし過ぎで、頭に沸いたのか」
「縛られて、犯されたいの、兄貴?」
満面の笑みで言うと、兄貴は「冗談だ、冗談!」と冷や汗をかきながら言った。わかりやすいヤツ。
まあ、いいさ。僕は寝転び、兄貴の服の端を握りしめる。
今日の僕は兄貴に甘えたいから、少しは可愛いことをしておく。そうすれば、また目覚めた時も兄貴の顔が見れるだろうから。


僕の 兄貴に対 す る想い は、表 面張力の よう

お互い を 引き合い な がら、界面 を 打ち 消して いく


僕 の 兄貴に 対す る想い は、細胞 壁 の よう

絶え ず 成長を 繰り 返し、 増 長 してい く



そうしないと、死んでしまうんだ




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