何であの時、さらわんかったんやろ
「いやー、謎やー」
てくてくと虚夜宮(ラス・ノーチェス)を歩きながら、市丸ギンはぼやいた。
尸魂界(ソウル・ソサエティ)へ陽動のために向かった先には、予想した通りの人物がいた。
宮能 まつ梨。
懐かしい名前だ。その名前を藍染から聞いた時は素直に驚いた。
兄の藤丸は虚圏(ウェコムンド)に飛ばされ、一足早く再会した。まあ、当然ながら変わってなかった。
当然だろう。あの二人は時を越えたのではなく、ただ時間が流れる現世の狭間で眠り続けていただけなのだから。
もしも、彼女と死神として再会していたらどうなったのだろうと思う。
ここだけの話だからはっきり言うが、ギンにとってまつ梨は初恋の女性だった。
何となくで乱菊と一緒に死神になろうとした。
その一因が実はこの宮能兄妹のせいでもある。正確には、背中を押されたというのが正しいのだろう。
憧れていたのだ。あの仲の良い家族とやらに。
血のつながりはないけれど、笑顔で他人と笑いあって、育ての親を実の両親のように慕うあの二人のように、自分もあんな風になれるのかと、ささやかに憧れていた。
けれど、自分はそんな平穏は似合わないとあっさりと悟った。
まつ梨と藤丸は、ある日を境に消えてしまったし、それが虚(ホロウ)によって殺されたからと聞いて、少し失望した。
あの痛みは、一体なんだったのか。今でも良くわからない。好きだった人がいなくなったから悲しいのか、それとも意外に弱かった二人に失望したのか。そこはわからない。
まつ梨のことは初恋の女性だと思う。いいな、と思っていたのは事実だ。
もう二度と会わないと思っていた彼女の姿を見つけた時、腕を取って抱きしめて、さらってやりたくなった。
「・・・でも、出来へんかったんよなー」
けれど、あの射抜くような刃のように鋭く、炎のような怒りの込められた視線を向けられて、少し躊躇した。
怖かったのだろうか。それとも、驚いて手を引っ込めただけなのか。
もし、彼女が隣にいたら、自分はどうするんだろう。
「・・・ま、あの人のことやから、放置、かなー? 世話係はボク? ・・・うん、ウルキオラには任せられんな。六番さんなんて、考えるだけで修羅場や」
きっと、気性の荒い彼女がここにいたら、藍染は彼女にささやかな自由を与えるだろう。尸魂界(ソウル・ソサエティ)には帰さないけど。
その世話係は、きっと自分。罵倒され、軽蔑され、それに構わず彼女に話しかけるであろう暇人な自分が容易に想像できる。
そして、まつ梨が自分から逃げ出そうとしたらどうなるだろう。想像できない。
「うーん・・・でも、普通そうするわなぁ・・・」
まつ梨が、逃げていく。
背中を向けて、走り去っていく。
もう、届かない。自分が突き放したせいで、逃げ出していく。
だったら。
「・・・・・・・・・」
無意識に神槍に手を当ててしまい、苦笑する。
もし、まつ梨が自分から逃げたら、ギンはきっとまつ梨を殺してしまうのだ。
不思議ではあるが、核心があった。彼女はきっと、逃げ出す。
鳥かごにいれる暇もなく、飛び去ってしまう。
それが我慢できずに、羽をもぎ取ってしまうかもしれない。
「だから、なんかなぁ」
手を伸ばして、背後からまつ梨を抱きしめたいと思った。
そして、そのまま虚圏(ウェコムンド)に連れ去ろうと思った。
それは実行されることはなかった。なぜなら、手を伸ばした瞬間の彼女の目に気圧されて、怯えてしまったから。
「・・・寂しいなぁ」
きっと、もう二度と彼女は自分に笑いかけることはない。
泣き出すことはあるだろうけど、もう二度と彼女に世話を焼かれることはない。
全ては自分の選んだ道。今さら寄り道をして、くだを巻くようなマネは出来ない。
ただ、ギンは珍しくため息をつく。
その腕にはもう二度と触れることはないから
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