「綺麗な髪ね」
何の予兆もなく。
ネリエルは唐突にそう言った。
偶然そこに居合わせたイールフォルトは茶を噴出し、それがかかったザエルアポロは「汚いだろ!! このカスがっ!」と実の兄を罵った。
テスラは信じられないものを見るような目でネリエルを、そして件のノイトラを見入った。
髪を誉められた張本人は、まるでメドゥーサを直視したように石化したように動かない。
細い目を丸くして、何言ってんだこのアマと言いたげに口を開閉する。
「・・・どうかしたの?」
ネリエルはノイトラの様子を怪訝に思って、その顔をのぞきこんだ。
がたたっ! とノイトラは、近寄ってくるネリエルから転げ落ちるように及び腰になりながら後退した。
「・・・ノイトラ?」
「来るなっ!!」
ノイトラはネリエルが鬼神か、悪魔のようにでも見えているのか、本気で怯えていた。ネリエルは首をかしげたが、それはノイトラの恐怖に似た感情を煽っただけだった。
「き、気持ち悪ぃんだよっ! 何なんだ、いきなりっ!!」
それにはさすがにネリエルも少し傷ついたように、憮然とした顔になった。
「別に思った事を言っただけでしょう。そこまで言わなくてもいいと思うんだけど」
「うるせぇ! 不気味だ、気味が悪ぃぜ!」
「・・・そう、私は戦うのは嫌いなのだけど、その暴言を否定するためには」
言ってネリエルの姿が掻き消える。
「あなたのその口を塞ぐしかないのかしら?」
一閃。
そして、衝撃が走った。
ノイトラの後頭部に、ネリエルの足が当たる。がつっ! と音をたて、綺麗な弧を描きながらノイトラは吹っ飛んだが、空中でたたら踏みながら体勢を整える。
「上等だ! 今すぐテメエを地面に叩き潰してやるッ!」
ノイトラは斬魄刀を構え、ネリエルに踊りかかった。
そして、始まる乱闘。
一方でそれを見ていた者達は。
「・・・ノイトラ」
テスラは顔の上に縦線を描いたような青い顔で、二人の戦いを見ていた。
「・・・これはノイトラが悪いだろ」
イールフォルトは口元を拭いて、淡々と感想を告げた。
「不器用だよね。あれって、照れ隠しなのかな?」
それにしてはネリエルも意外と鈍いよね、とザエルアポロは言う。
「普通気付くか? わかりにくいだろ」
「でも兄貴、ネリエルもネリエルだと思わないか? いきなりあのノイトラを誉めるんだよ。何かあるんじゃないかって疑う気持ちもわからなくないだろ?」
確かにそうかもしれないが、とイールフォルトは口篭った。
しかし、それでは筋が通らないというか、すっきりしない気がする。
「ノイトラは照れたんだろうな・・・」
はあ、とため息混じりにテスラがグランツ兄弟の会話に参加した。
「・・・ああいうやつだから、素直に礼が言えないんだ。そして、絶対に認めない」
「・・・・・・難儀な性格だな」
イールフォルトは呆れたように肩をすくめた。彼が王と認めるグリムジョーでさえ、礼は言わないが、それを借りと称して助けるくらいはしてくれる。
あ、とザエルアポロが声を出すとほぼ同時、ノイトラが天空に向かって高く吹き飛んだ。
ついでに赤い何かが飛び散ったような気がする。
「勝負あったね」
「ネリエル様の勝ちか、いつも通りだな」
「ノイトラ・・・」
そして、どさりと宙を舞って、地面に倒れ付したノイトラは、ぐぐぐ、とネリエルを睨んだ。
「ちくしょうっ・・・」
「まったく、誉めたのに何であんなことを言われないといけないのかしら。心外だわ」
「テメエが、らしくねえことをほざくからだろ!」
「どうして。私は、あなたの髪の毛が綺麗と誉めただけよ」
「な、ンなこと言われても嬉しくねえんだよ!」
「そうね。あなたにとっては事実を言われているだけだものね。羨ましいわ」
「羨ましい、だと・・・?」
「私の髪は、癖が強すぎるの。まとまりにくいし、あなたの綺麗にまとまった髪質が羨ましいわ」
「ふ、ふざけんなっ! お前だって、な、その・・・」
「何?」
「・・・・・・・・・・何でもねえっ!!」
「発言する時、途中で止めるなんて真似しないで。最後まで言いなさい」
「うるせえ! 誰が言うか!!」
ノイトラが叫ぶ。ネリエルは呆れて、説教しようとする。
いつもの光景だ。当たり前のような、いつもの光景。
「・・・痴話喧嘩だね」
ザエルアポロは付き合ってられないと、眼鏡の位置を直し、席を立った。
「行こう、兄貴、これ以上付き合っていても時間の無駄だ」
「・・・そうだな」
普段は自分をないがしろにするザエルアポロであったが、今回ばかりはイールフォルトもザエルアポロの意見に賛成だ。
正直、あの二人に付き合っているのは文字通りの時間の無駄だ。
「・・・止めてくる」
ぽつりと、まるで自分の死刑宣告を宣言するようにテスラは言った。イールフォルトは目配せして、頑張れと伝えた。テスラは力なくうなずく。

そして、この件からしばらくして。
ノイトラは髪を伸ばし始めたらしい。




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