ウルキオラは自他とも認める無表情だ。
その表情の変化を汲み取れるのは、おそらく藍染くらいだろう。
付き合いの長いものでも、怒っているかくらいしかわからない。
というのも、そもそも、ウルキオラが笑ったり、悲しんだりしないせいだ。彼に存在する感情は静か過ぎる怒りと、冷淡すぎる嘲りしかないのではないかと噂されたくらいだ。
だから、ウルキオラの今の顔を見れば、誰もが驚いただろう。
ウルキオラは困っていた。悩んでいたと言うべきか。
ソファに座り、かれこれ一時間が経過している。
しかし、ウルキオラに動くという選択肢はない。
「あー・・・置いてかないでぇー・・・白ゴマあんぱーん・・・」
なぜか、膝の上に眠りこける井上織姫がいる。いわゆる、膝枕。ウルキオラはそれを人間の女であり、藍染から預かったものでもあった。
起きろ、と声をかけたが起きる気配はなく「うう・・・カレーパンが、ビーフシチューパンで埋め尽くされるー・・・助けて、黒崎君・・・」と寝言を言う次第だ。
さすがに乱暴をしてまで起こす必要はない。特に用事がないのだ。別段、困るはずがない。
ただ、この状況を誰かに見られたら、とんでもない誤解を受けるのではないのかというのが、目下の心配事だった。
東仙に見られるならまだしも、市丸に見られたら下らない下劣な憶測が飛び交うのも目に見えたし、ノイトラにはしつけが上手く言ってるようで何よりだと揶揄され、ザエルアポロには意外だよでも案外お似合いかもねと祝福され、アーロ・ニーロにはお盛んだなーとニヤニヤ笑いを向けられ、一番屈辱となるのはグリムジョーに呆れ果てた目で見られることだ。
特にノイトラやザエルアポロには見られたくない。市丸と同じかそれ以上の低劣かつ、下賎な憶測をぶつけてくるだろう。
人間相手に欲情するはずがないのに。そんなものは必要ないのに。
頭が痛くなるような無駄話が飛び交うと思うと、軽く眩暈を覚える。
「・・・女」
そして、52回目の通達。
「・・・起きろ」
まるで壊れたラジオから流れるような、陰鬱な声だ。どこまでも低い声が、織姫の部屋に響き渡ったが、当の織姫は無反応だ。
「おい、女」
「うふふ・・・メロンパンとコロッケパンの競争だぁ・・・」
一体、どんな夢を見ているのか。ウルキオラはこの織姫の頭を一度かち割って、その中身を確かめてみたいと真剣に思った。
ふと織姫の頭に手をやる。
「んー・・・」
仰向けに眠っていた織姫が身じろいた。腕を枕代わりにして寝返る。その衝撃で、髪の毛がさらさらとウルキオラの膝からこぼれた。
ふと、それに手を触れる。その髪の毛は、絹糸のように細かった。
「・・・・・・・・・」
しばし、それを弄んでみる。さらさらと、指の合間から零れ落ちる様は、まるで水のようだった。
「・・・ん・・・あれ・・・?」
ぱちりと。
眠り姫が王子のキスによって起き上がるように。
織姫の瞼が開いた。
「・・・はよございます」
「一時間二分四十五秒も眠っていたようだな、女」
のんきにあいさつをしてきたので、ウルキオラも適当に返した。
「えっ、そんなに寝てましたか?」
「ああ。お前が何を血迷ったか、急に寝入って、それくらい経っているはずだ」
ウルキオラを知るものがいれば、彼は今、まさに不機嫌だと感づいただろう。しかし、付き合いが短く、お世話係りの人程度にしかウルキオラを認識していない織姫に、その微細な変化は汲み取れなかった。
「・・・わかったら、起きろ。そして退け、邪魔だ」
「あ、ごめんなさいっ!」
織姫は今気付いたと言うように、起き上がる。ふわりと、髪の毛が舞うように、散らばった。
やっと膝の重荷がなくなり、ウルキオラはほっとした。もっとも織姫はそれに気付かない。
「いたっ!」
「・・・?」
織姫は唐突に走った痛みに頭を抑え、涙目になった。
良く見ると髪の毛がウルキオラの上着の裾、ファスナーに引っかかっている。
「ひ、引っかかっちゃった・・・?」
「・・・うるさい、静かにしろ」
ウルキオラは感情のない声でそう言うと、ファスナーを引き千切った。
「え!?」
「解けたぞ、女」
「えええええっ! ちょ、ウルキオラ、どうしてっ!?」
織姫の声は困惑と驚きが入り混じっていた。
当然だろう。織姫の髪の毛が絡まったのに、ウルキオラは何の躊躇もなく自分の衣服を破ったのだ。織姫はハサミか何かで自分の髪の毛を切ろうとしたのだ。その方が被害も少ない。
「・・・髪を切るつもりだったのか?」
「だって、ウルキオラの服が・・・」
ウルキオラの白い服は、それを着ているものの手によって、引きちぎられていた。
「お前が気にする必要などない。俺がしたことだ」
「・・・でも」
ウルキオラは織姫の髪の毛に触れた。そして、その白い頬に触れた。
桃のように柔らかく、林檎のように赤いそれに、軽く触れた。
「少し黙れ」
それだけ言うと、ウルキオラは織姫に背を向け、部屋から出て行った。
織姫の髪の毛を切らなかった理由。それは彼女が預かりものだから、傷つけてはならないという理由があるからだ。
そう言い聞かせているのに、なぜか眠っている織姫の顔が思い浮かぶのはなぜだ。
太陽や月の光を浴びたような、亜麻色の髪の毛。
あれを、ウルキオラは美しいと思った。
「下らんな」
ウルキオラは誰もいない真っ白な廊下でつぶやいた。
自分に言い聞かせるように、念を押すように。
喉元に空いた虚空が満たされる日は来ないのだと、無理やりそれを繰り返した。
真実は、ウルキオラ自身にすらわかっていないのだ。
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